表具師の仕事

/玄人御用達、名表具が生まれる現場/

表具の話

 

画集で見たことのある作品を初めて美術館で見たとき、その印象の違いに驚かされ、感動し、時に違和感を感じたことはありませんか? 画集では普通、本紙*1だけが載っていて、どんな掛け軸になっているのかを知ることはできません。ですから、初めて掛け軸としての「全体」を見たときに、意外な表具に驚いたり、素晴らしさに感動したり、あるいは、ちぐはぐな時は違和感を抱いたりするのかもしれません。

「日本画の舞台裏」、連載の初回にご紹介するのは、そんな、古書画の「全体」を作り上げる表具師の仕事です。訪れたのは、京都の老舗表具店「古代表装 弘明堂」。三代目中村圭佑さんに、その仕事場を見せていただきました。

 

表具師とは、襖や屏風、掛け軸を作る職人さんのこと。その仕事は幅広く、ひと口に表具といっても、生活に密着した「町のふすま屋さん」的な仕事から、年代ものの貴重な古書画の軸装まで、実にさまざまです。弘明堂は後者を代表する老舗。創業者で圭佑さんのお祖父さまに当たる鉉吉さんは、業界では名の知れた表具師で、以来、弘明堂は骨董商や古書画商といった目利きたち、いわば「玄人」御用達の表具店として、続いてきました。

 

一幅の古書画が表具師の手で、新たな掛け軸として仕上げられるまでには、さまざま工程があります。また、素晴らしい表具に仕立てるためのポイントもさまざまです。中村さんの工房で、いい表具とは何かを探ってみました。

 

 

*1本紙【ほんし】中心となる、「絵」が描かれた、あるいは「書」が書かれた本体。たいていは紙あるいは絹。

一.
作品に合わせた、時代感のある表具を

表具師の仕事
-玄人御用達、名表具が生まれる現場-

表具の話①


▲工房の押入れには、お祖父さまの代から集められてきた古代裂がぎっしり。
絹や和紙に描かれた古書画は、経年の劣化を免れることはできないため、50〜100年に1回程度、修理をする必要があるといいます。

博物館や美術館は通常いわゆる「修理所」に、骨董商や古画商は、弘明堂のような専門の表具店にそれを依頼することが多いようです。

修理し、仕立て直すという基本的な仕事に大差はありませんが、「仕上がりの雰囲気」には大きな違いがあります。


▲伊藤若冲の《布袋図》に合わせた裂地の取り合わせを考える。
作品と同時代の裂をいろいろ合わせてみて、中廻し*2には作品のおおらかな雰囲気が生きる、小さな柄を選びました。
 
*2中廻し【ちゅうまわし】本紙をぐるりと取り囲む部分。
「いちばん大事にしているのは、その作品に合わせた表装にすること。仏画なら仏画らしい表具、応挙なら応挙らしい表具というものがあります。

我々の世界では〈さびを合わせる〉と言いますが、本紙と表具の裂(きれ)の時代を合わせることは、古代裂を収集していた祖父の代からのうちのこだわりなんです」と中村さんは話します。国宝や重要文化財の書画が、修理後に、妙にぴかぴかの真新しい表具を施されていることがありますが、美術館や博物館で見た時に、それに少なからず違和感を覚えた経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

茶の湯の「わびさび」にも通じる、古来の美意識からのことでしょう。日本では古くから、掛け軸全体の風情を重んじることも、書画を愛でる文化の一部とされてきました。多くの、それも格式ある骨董商や古画商が弘明堂に表具を依頼する最大の理由は、そこにあるのです。

二.
極めて高い、修理と表装の技術

表具師の仕事
-玄人御用達、名表具が生まれる現場-

表具の話①


▲印刀(いんとう)と呼ばれる小さな刀を使います。
傷んだ書画を仕立て直す際には、まず、古い表具をはがすことから始まります。本紙に剥落どめを施した後、大刷毛に水を含ませて、裏面全体を刷き、糊の粘着力を緩めてから、本紙を傷つけぬように、ゆっくりと総裏*3と呼ばれる裏打ち紙を剥ぎます。

 

*3総裏【そううら】総裏紙のこと。本紙に表具を合わせてから、裏面全体に打つ和紙のこと。


▲ゆっくり総裏を剥いでいきます。
その後、状態を確認しながら、必要に応じて増裏・中裏・肌裏*4を順に剥いでいきます。そして、肌裏まで取り除いた場合は、本紙の余分な汚れを取り除いた後に、新しい和紙で肌裏を打ちます。

 

*4増裏・中裏・肌裏【ましうら・なかうら・はだうら】本紙の裏に直接行う最初の裏打ちが「肌裏」。その次が「中裏」、さらに次が「増裏」。


▲細く切った薄美濃紙を竹のへらに巻きます。
ここからが修理の始まりです。本紙に折れがある場合には「折れ伏せ」を施します。ごく細く切った薄美濃紙を、折れた部分に貼って補強するのです。この作業は、痛み具合によって、1日で終わる物もあれば1週間かかる物もありますが、ひとつずつ、丁寧に補修していきます。

▲補紙のために、使命を終えた同時代の紙を再利用することもあります。
また、本紙に欠損がある場合は補絹・補紙を施します。補絹・補紙についても、さまざまな考え方がありますが、中村さんはここでも「仕上がりの雰囲気」を大切にして、本紙と同じような色や時代感の絹や和紙を丁寧に見繕って、修理をします。古書画の修理には、高い美意識とそれを支える高い技術が要求されるのです。

▲ライティングテーブルの上で、折れ伏せの作業を行う中村さん。確かな手さばきで、補修していきます。

▲本紙に欠損のあった若冲の《鶏図》。一見まったくわからないほど、けれども欠損があった事実を隠さない程度、という絶妙な具合に修復されました。

三.
紙は惜しまず最上のものを

表具師の仕事
-玄人御用達、名表具が生まれる現場-

表具の話①


▲裏打ちには、工房で仕込んだ古糊(ふるのり)を使います。粘着力が極めて弱いので、やわらかく仕上がり、次回の修復の際に難なく剥がれます。
弘明堂の手がけた掛け軸は、「掛かりが良い」という定評があります。仕上がったばかりの掛け軸は時に、いかにも「新品」という硬い印象のものがありますが、弘明堂のものは、程よい時代感を感じさせるやわらかな風情で床の間に馴染みます。また、手に持ってするすると開くときの「掛け心地」も良いのです。その秘訣は、材料とする紙へのこだわりにありました。

▲総裏に使われる宇陀紙。もともと真っ白な紙を、桃皮などを用いて自分で染め、本紙の状態に合わせて用いるそうです。
表装の仕立てに用いられる和紙は、美濃紙、美栖紙、宇陀紙に大別されます。薄くて強靭な美濃紙は本紙や肌裏紙に、柔軟で伸縮性のない美栖紙は増裏紙や中裏紙に、白くて厚手の宇陀紙は総裏紙に用いられますが、いずれも、今ではごく限られた生産者しかいないという現状があります。
例えば美栖紙は、楮(こうぞ)に胡粉(ごふん)という貝殻の粉を混ぜて漉く紙ですが、その伝統的な技法の継承者は、たったひとりしかいないのだそうです。そのため入手が極めて困難で、かつ値段も高価。1年ほど前には4〜5万円ほどだった美栖紙200枚は、今では20万円近くするといいます。
代用の紙で済ませる業者もとても多い中、弘明堂は決して妥協せず、これらの和紙の「本物」にこだわり続けています。
「どうしても、これだけは変えられません。
手触りも風合いも、まったく異なり、違うものを使うと、折れやすくなったり、硬くなったりしてしまうんです。ですから、入手できる時は少し無理をしてでもまとめて購入するようにしています」と中村さんは話します。
そうしたこだわりが、「掛かりの良さ」につながっているのです。日本全国の目利きにとどまらず、海外の顧客からの指名も多いという弘明堂の名表具は、中村さんの職人としてのこだわりと高い美意識、そして類まれな技術に裏付けられたものでした。
▲今では、生産者がひとりしかいない美栖紙。透けるような薄さで、触れると手に胡粉の白が残るのが特徴。 ▲初代から受け継がれてきた、さまざまな道具が並ぶ工房。
お話を伺った人:中村圭佑さん。京都の老舗表具店「古代表具 弘明堂」の三代目。

構成・文:久保恵子
協力:金子信久