二尊院《二十五菩薩来迎図》の修復②

/現状調査と修理の方針、技法のこと/

修復の話

二尊院《二十五菩薩来迎図》のアップ

 

貴重な文化財の修理には、まず現状の記録が欠かせません。修理に先立ち、まずは《二十五菩薩来迎図》の入念な現状調査と撮影が行われました。絹の目まで大きく映し出したその記録写真からは、経年劣化をはじめとする《二十五菩薩来迎図》が抱える現状の「問題点」はもちろん、傑作と名高いこの来迎図の美しさが、極めて高い技術を要するさまざまな仏画の技法の結晶であることがよくわかります。

 

今回は、この来迎図の特徴と、その見どころであるひとつひとつの技法を、拡大写真とともに見ていきましょう。

 

 

一.絹目の粗さ
近づいて見てみるとまず驚かされるのが、描かれた絹目の「粗さ」です。現状調査をした府中市美術館の金子信久先生によると、絵絹の目の粗さは、室町時代の仏画の特徴なのだそうです。金子先生が以前同じく調査をしたことのある鎌倉時代の《阿弥陀二十五菩薩来迎図》(重要文化財、福島県立博物館蔵)の1センチあたりの絹目は、2本撚りの経糸が26本程度。それに対して、二尊院のこの《二十五菩薩来迎図》では、15本程度なのです。目の粗い絹が好まれた理由はわかりませんが、それによって独自の風合いが生まれているのです。

 

室町時代の仏画ならではの粗い絵絹
▲室町時代の仏画ならではの粗い絵絹。

 

 

二.裏箔と裏彩色
それでは、これだけ目の粗い絹に、どうやって描くのか、という疑問が湧いてきます。金子先生は「裏打ち(絵絹の裏から和紙を貼ること)をしてから描いたのではないか、という意見もあるようですが、それはどうでしょうか」と話します。例えば、日輪を描いた一幅を見てみれば、日輪は裏から金箔を施す「裏箔」という技法で表されています。つまり、裏打ちをしてから描いたのではない、ということになるのです。また、明らかに裏から彩色、つまり裏彩色を施している箇所も随所に見られます。

 

絹の裏側から金箔が施されています
▲絹の裏側から金箔が施されています。

 

 

絹糸には彩色がないことから、裏から白緑(びゃくろく)が施されていることがわかります
▲絹糸には彩色がないことから、裏から白緑(びゃくろく)が施されていることがわかります。

 

 

三.截金、截箔、金泥
仏画において、菩薩の姿が皆金色で表されるようになったのは、鎌倉時代後半以降のことです。「皆金色」というと、全部を金一色に塗っただけの単純なものと思うかもしれませんが、そうではありません。この来迎図をよく見てみると、金の表現の繊細さに驚かされます。菩薩の肉身は金泥(金の粉末を膠で溶いた顔料)、頭光や日輪、蓮台の輪郭や葉脈、楽器の弦などは截金(金箔を細く切って貼る技法)、宝冠や瓔珞(ようらく)などのアクセサリーは截箔(金箔を模様の形に切って貼る技法)と、それぞれの部分に応じた異なる技法を用いて、多彩な金の表現を試みているのです。

 

金泥の金が落ち着いた輝きを放つのに対して、截金や截箔は、金の眩しい輝きが表せます。
▲金泥の金が落ち着いた輝きを放つのに対して、截金や截箔は、金の眩しい輝きが表せます。

 

 

二十五菩薩は皆金色ですが、地蔵菩薩と竜樹菩薩(右)の肌は、白で表されています
▲二十五菩薩は皆金色ですが、地蔵菩薩と竜樹菩薩(右)の肌は、白で表されています。

 

 

四.痛みの具合と修理の方針について
掛軸は、一般的に50年か100年に一度程度、修理をする必要があると言われていますが、実際には「保存状況などに応じてケースバイケースではないでしょうか」と金子先生は話します。この来迎図の場合、前回の修理がいつなされたのかは定かではありません。けれども、掛幅の裏側には、慶安4年(1651)の修理の記録のみが残されているので、以来、370年近く、本格的な修理はされてこなかったのかもしれません。
絹は蚕の繭から作られる動物性タンパク質でできた天然繊維。そのため、経年のため、切れてしまったり、酸化してなくなってしまったりするものです。この来迎図でも、ところどころに、絹の痛みが見てとれます。折れがひどく、絹が剝落して、肌裏(絹の裏に貼った和紙)が見えてしまっている箇所もあります。

 

菩薩の肉身に施された金泥がところどころ剝落しています
▲菩薩の肉身に施された金泥がところどころ剝落しています。

 

 

楽器の部分は、絹や截金が欠失しています
▲楽器の部分は、絹や截金が欠失しています。

 

 

雲の部分に施された白い顔料が剥落し、下書きの線が見えています
▲雲の部分に施された白い顔料が剥落し、下書きの線が見えています。

 

 

現在、古書画の修理においては「現状維持」が基本です。今回も、現状の記録を丁寧にとった上で、傷みがこれ以上進行しないような修理を施していくことになります。

 

次回からは、修理の様子をレポートしていきます。

 

 

協力:金子信久(府中市美術館学芸員)
構成・文:久保恵子