二尊院《二十五菩薩来迎図》の修復①

/修理の前に―来迎図の基本的なこと/

修復の話

二尊院《二十五菩薩来迎図》

 

小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ──
百人一首にも詠われた「小倉山」の麓にある、京都・嵯峨野の二尊院。その参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ、京都でも有数の紅葉の名所として親しまれています。
この古刹に、仏画の傑作《二十五菩薩来迎図》が伝えられていることをご存知でしょうか? 土佐派の実質的な祖である室町時代の画家、土佐行広が筆をとった一七幅からなる大作です。重要美術品の認定も受けた名幅ですが、室町時代に描かれた繊細な作品は経年の劣化を免れず、保存の観点から、長らく公開されることは稀でした。

 

 

二尊院

 

その《二十五菩薩来迎図》がこの度、修理に出されることになりました。そこで、Art Salonでは特別に許可を得て、修理の様子をレポートし、普段は見ることのできない貴重な文化財修理の現場を、連載でお伝えしていきたいと思います。

 

今回は、連載の始まりとして、まずは、来迎図とは何か、そして、この《二十五菩薩来迎図》の魅力について、修理前の事前調査をした府中市美術館学芸員の金子信久先生にお話を伺いました。

 

 

─そもそも、来迎図とは何ですか?
仏教には様々な教えがありますが、その中のひとつに、人は亡くなると阿弥陀様のいる西方極楽浄土に往生するというものがあります。中国伝来の思想ですが、平安時代中期以降、日本でも広まり、阿弥陀如来を本尊とするお寺がたくさん造られました。来迎図は、阿弥陀様が浄土から死者を迎えに来る場面を描いたもので、阿弥陀信仰の広まりの中で、たくさん制作されました。鎌倉時代の絵巻に、亡くなる人の枕元に来迎図が掛けられている様子を描いたものがありますが、つまり、来迎図は、死に臨む人々が、阿弥陀様のいる浄土を想像し、安らかな極楽往生に向けてのイメージトレーニングをするための装置のような役割を果たしていたのでしょう。

 

二尊院《二十五菩薩来迎図》のうち勢至菩薩を描いた一幅
▲《二十五菩薩来迎図》のうち勢至菩薩を描いた一幅。

 

 

─美術作品としての来迎図の魅力はどこにありますか?
自由なところです。仏画とは本来、造形的にとても厳しい取り決めがある世界です。仏様の色や細かいところの姿形まで、仏教の経典に則った決まりに従って描かなくてはならないのです。密教の曼荼羅などはその良い例です。けれども来迎図は、基本形はあるけれども、作者のクリエイティビティに委ねられるところもあったようで、一作一作に創意工夫があるんです。ですから、絵として面白い、見応えのあるものが多いように思います。

 

 

―二尊院の来迎図の魅力はどこにありますか?
二尊院は、阿弥陀如来と釈迦如来の「二尊」を本尊とするという、とても珍しい寺院です。極楽往生を目指す人を、お釈迦様がこの世から送り出し、阿弥陀様があの世へと迎える、というわけです。本堂の中央、右に釈迦如来像、左に阿弥陀如来像が安置されていますが、金泥塗り、玉眼入りの左右対称の像はともに、鎌倉時代中頃に春日仏師によって造られたと考えられています。
ふつう、来迎図というと、阿弥陀如来を中心に全てが一幅の中に描かれているものが圧倒的に多いものです。けれども、二尊院の《二十五菩薩来迎図》には、阿弥陀様は登場しません。そして、二十五菩薩に地蔵菩薩と竜樹菩薩を加えた二十七の菩薩様が来迎する様が、一七幅に別れて描かれているのです。

 

二尊院のご本尊。左が阿弥陀如来、右が釈迦如来。
▲二尊院のご本尊。左が阿弥陀如来、右が釈迦如来。

 

 

―どうして阿弥陀様が描かれていないのですか?
これは、御堂の西に鎮座する御本尊を挟んで、向かって右(北)に九幅、左(南)に八幅に掛けることを想定して描かれた来迎図です。つまり、絵の中だけでなく、本堂という三次元の空間を使った創意工夫に富んだ仕掛け。そうやって、阿弥陀如来の来迎という壮大な別世界を表現しているんです。

 

 

―作者は誰で、いつ描かれたものですか?
作者は室町時代前期、宮廷の絵所の画家として活躍した土佐行広です。「土佐」の姓が明らかな最初の画人で、やまと絵の画派である土佐派の実質的な祖と言われています。肖像画や仏画をたくさん描いているほか、代表作に絵巻の『融通念仏縁起』(重要文化財)があります。この《二十五菩薩来迎図》では、結縁者(この仏画の制作にかかわり、実行した人たち)のひとりに名を連ねています。そして、結縁者とともに書き込まれたその没年のひとつから、おそらく応永28年(1421)年より少し後に描かれたものであることがわかります。

 

「経光禅門」は、作者の土佐行広の法名。結縁者として書き入れられている。
▲「経光禅門」は、作者の土佐行広の法名。結縁者として書き入れられている。

 

 

―造形的な見どころはどこにありますか?
二十五菩薩をどのように変化をつけて描いているか、というところが最大の見どころだと思います。楽器を奏でていたり、優雅に踊っていたりしますが、菩薩様のダンスなんて、来迎図でしか見られません。また、一七幅のうち二幅に、日輪と月輪が描かれているのも興味深いです。これは、経典にはみられないもので、来迎図に描かれた例がないわけではないのですが、非常に珍しいモチーフです。鎌倉時代の仏画の表現方法を踏襲して、肉身も衣も全てが金色、つまり皆金色(かいこんじき)で表されていて、「截金(きりがね)」や「截箔(きりはく)」など、金箔による技法を用いた、繊細な装飾も大きな見どころのひとつです。

 

踊る菩薩たち
▲踊る菩薩たち。

 

 

二尊院《二十五菩薩来迎図》のうち、日輪と月輪を描いた幅
▲《二十五菩薩来迎図》のうち、日輪と月輪を描いた幅。

 

 

金箔を細く切って貼る「截金」で表された衣の繊細な文様
▲金箔を細く切って貼る「截金」で表された衣の繊細な文様。

 

 

次回は、修理前の《二十五菩薩来迎図》の現状を、高精細で撮影した画像とともに、レポートします。

 

 

取材協力:金子信久(府中市美術館)
構成・文:久保恵子